北京出張

3月は北京で仕事をしました。

初めて滞在する場所なのでソワソワしながら向かいましたが、現地の方々の手厚いサポートのおかげで快適に過ごすことができました。
毎日よく食べ、よく働き、よく眠り。
海外での仕事は緊張や疲れもあるけど、規則正しく生活できてなんだかいつもより体も軽やかな気もします。
日本でもこんなシンプルな日々を送りたいと思っているのになぜできないのだろう…

私、中国語は全くできないのですが、不思議と言葉の壁は感じませんでした。
英語がわかるスタッフは1人。

日本ではあまり意識することはないけれど、コミュニケーションにおいて普段いかに言葉のみを頼っているか。
海外に行かなくても、赤ちゃんや動物とのコミュニケーションも同じかもしれない。
表情、目線、動作、声の抑揚や間、体全部で伝えて受け取ること。
そういうものは、言葉の意味に頼り切っているときには眠ってしまっているんだと実感します。

言葉が違う人たちと過ごしていると、その眠っていたところに自然と血が巡っていきます。
そうすると感情や意識を共有しているような感覚になって、同じことで笑ったり、これをどうするのかで悩んでるのかなと察しがついたり、お互い違う言葉で話しているのになんとなく理解できていたりする体験は興味深いものでした。

仕事ではなく旅行で行っていたときにはここまではっきりと感じたことがなかったので、言葉が違う場所で生活に近いことするのは自分を見直す良い機会だと思います。

仕事だけではなく、週末には観光にも行くことができました。
故宮、景山公園、什刹海、頤和園…
大陸の壮大な歴史に触れ、その景色の中に立つことができたことは感動でした。
ここで歴史が動いてきたんだなぁ…と存分に想い耽ることができました。

島国の日本と、大陸の中国。
街のまとめ方とか作り方の違いも面白い。
彼らの言葉や習慣もこの大陸で醸成されてきたのだなと感じる日々でした。

私は旅行者としての中国人にしか、ほとんど接したことがありませんでした。
でも自分の国にいる彼らは、当たり前ですが旅行者としての姿とは違った印象でした。

臆せず親切に世話をしてくれて、言葉は通じないけど私と話したいと思って話しかけてくれる。
バスでは年配の方にすぐ席を譲るし、譲られた人も感謝して席につく。
日本でももちろん同じ光景はあるんだけど、その堂々と、さらっとした雰囲気がいかにも大陸風だなと思っていました。
私も自分の国で誰かを迎えるときには、自分がしてもらったように自然で親切な自分でありたいです。

中国で毎日助けてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
次に行く時には少しでも、あの楽しそうな雑談の言葉を拾えるといいなぁ。